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第二次世界大戦前後には経済統制の必要上、政府によって物資の価格が決められていた時代がありました。こうした価格を公定価格といい、商品や値札に「まるこう」と書き込まれ、それを当時は「まるこう」と呼んでいました。
この価格統制法令が公布されたのは昭和14年(1939)9月18日のことでした。当時、日本は日中戦争の長期化によって、生活に必要な物資や食糧が日に日に不足していき、物価も高騰していきました。こうした状況に政府は、経済統制のために価格を据え置いて値上げを禁止し、公定価格制を実施するという価格統制令を出しました。同年には米穀配給統制法令が布かれ、翌15年(1940)には砂糖とマッチが切符統制となるなど、しだいに生活必需品の入手が厳しくなっていきました。
クレヨン、クレパスなど絵具類もまた、その原料が配給制となったなかで製造が続けられていました。しかし、原料がひどく品質の劣るものだったので、いくら努力しても満足のいく製品が作れるような状況ではありませんでした。こうして配給される限られた原料の中で作られた製品は、国が決めた公定価格で売られました。「まるこう」の付いた物品だけが正式ルートで売られ、それ以外は闇物資でした。
クレヨン、絵具の公定価格は昭和15年(1940)に制定されました。昭和18年(1943)9月1日には絵具、クレヨンの配給制が施行され、その廃止は昭和23年(1948)12月のことでした。その間、配給品は商工省の統轄による検査制があり、一等品、二等品、三等品の格付けがされました。
昭和19年以降は配給物資さえも底をつき、すべての物資は出回ることがなくなりました。クレヨン、クレパスが配給品だった時代には、子供たちは最後まで大切に使いきったそうです。不幸なことに持ち主の子供が亡くなった場合には、その兄弟姉妹か知り合いの子供にゆずられて、最後まで使い切られたほど貴重で宝物のようだったそうです。また、当時の子供たちの目に映る風景の中には色彩がなく、無彩色か国防色ばかりが街にも身近な生活にもあふれていました。そうした子供たちにとって、クレヨンやクレパスで絵を描くときは楽しいひとときで、鮮やかな色彩に飢えていた心が満たされたそうです。

















