1902(明治35)年12月5日〜
1993(平成5)年5月17日
香川県高松市に生まれる。大正11年東京美術学校入学、藤島武二に師事。昭和元〜9年帝展に連続入選。 昭和13〜15年ヨーロッパ滞在、アンリ・マチスに師事。昭和26年上野駅中央ホールに壁画制作。 昭和28年東京駅八重洲口に壁彫制作。昭和30年渡米、昭和40年帰国、その間日米の美術館で個展多数開催。 昭和55年11月勲三等瑞宝章を授章。平成3年丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が会館。
サクラアートミュージアムが所蔵する多くのクレパス画の中でも、猪熊弦一郎先生の珠玉の作品5点は当館の誇りとするものです。 かつて、新生描画材料「クレパス」を普及するにあたり、弊社が様々な取り組みを展開していた頃、クレパス画の描き方の解説書の出版や、 クレパス画のコンクールなどを行っていました。昭和26年発行の『クレパス画』や、昭和32年発行の『クレパス画八人集』に猪熊先生の作品が収録されていたり、 昭和27 年設立の「桜新人会」では選考委員をしていただいたりと、弊社とは古くから深い関係にありました。このようなお付き合いの中で、 先生のクレパス画や油絵が収集されていったのです。
美術館が収蔵作品を収集して管理するということは、単に作品を入手し保管することだけでは終わりません。 学芸員は自館で所蔵する全作品とその作家たちについても、個々の情報を保持していなければなりません。 さらに他館蔵や個人蔵である作品に関しても、その情報収集の範囲は及びます。現存作家に関しては、常にその活躍状況を把握しているのは当然のことです。 物故作家は歿後でも新しい事実が掘り起こされる場合があり、そうした情報もリサーチし続けていきます。 作家と既知の関係であれば、なおのこと情報は正確さと一層のふくらみを増します。
九十歳になられた猪熊先生をお祝いする会が平成4年12月5日に開かれ、そこでお話しをされた中から印象深かったエピソードを紹介します。 先生のお人柄を知ることは、作品を鑑賞するときの一助となります。
「僕は皆さんから長生きの秘訣を聞かれますが、僕は病気のデパートみたいに、いろんな大病をして来たんです。 だから、健康が長生きをさせているわけでは決してないんですね。毎日、キャンバスに楽しく向かっています。」
「ニューヨークに住んでいた頃、家内が乳癌で手術することになったんです。入院した病院が、なんと444号室だったんですね。 見舞いに来てくれる日本人の友人たちが皆、僕に縁起の悪い部屋だと心配してくれるんですね。僕は手術を明日にひかえた家内に言ったんです。 手術は成功するよ。だって、この部屋がとっても縁起が良い部屋だから、4が合わさっているから“しあわせ”の部屋だよ。」
「長生きすると友人たちがみんな先に死んで逝ってしまうんですね。去年、中学校の同窓会の一人が亡くなって、今年の同窓会の出席者は、 と思ったら僕一人になってしまっていたんですね。長生きをしていると、友人を一人一人失っていくんですね。淋しいですね。 でも、友人が亡くなるたびに僕は勇気が湧くんです。彼らの分も、もっと生きてやろうと思うからです。今年の同窓会は、彼ら一人一人の似顔絵を描いて、 並べて眺めてお酒を飲もうかと思っています。」

















