株式会社サクラクレパス

ヘッダーナビゲーション

  • メールマガジン
  • 採用情報
  • English
  • 文字の大きさ
  • 小
  • 中
  • 大

グローバルナビゲーション

  • 商品紹介
  • イベント紹介
  • みんなの展覧会
  • 会社情報
  • 採用情報
  • お客様相談窓口
  • 絵の描き方講座
  • 画材について

サクラコラム

日本の油絵具発達史(前編)―奈良時代の密陀僧絵具から、明治・大正時代の国産油絵具の開発まで―

 油絵具の歴史をひもとけば、その起源と発達の舞台となったヨーロッパにおける史料ばかりが目立ちますが、ここでは、その陰に隠れがちな日本の油絵具の発達の歴史に光をあててみました。この前編では、奈良時代の密陀僧絵具から、外国製の油絵具が全盛となった明治時代までをたどります。後編では、戦後になって日本が本格的な国産油絵具の製造に着手した経緯を紹介します。

日本における油絵具の起源

 日本における油絵具の使用は意外にも早く、奈良時代に唐の時代の中国から油絵具の一種で描かれた密陀絵みつだえという絵画が伝わった、との記録があります。 山本鼎著『油畫ノ描キ方』(大正6年刊)には次のように記述されています。

「わが国においては法隆寺の橘夫人厨子の扉に描かれている密陀絵が油を用いて描いたの始めだと言える。しかし欧州の油画あぶらえが初めて入って来たのは永禄年間スペイン、ポルトガル人渡来の当時である。その頃の有馬候の家来山田右衛門が日本最初の油画家あぶらえがかであった。松平子爵の蔵に係る泰西王族騎馬図はその最初だと云う説がある。他にも数人あったが、もともと当時是等これらの画法は天主教の宗教画と共に伝えられた物であったから、のちその峻酷な西教禁制の事があってからはその法を用いる事も出来なくなってしまった。徳川時代となって八代将軍吉宗の治世に洋書の禁が弛み、従って洋書の知識も段々と這入って来た。平賀源内が遊戯的に油画を描いて見た。是等に感化されて司馬江漢が真剣にその研究をした。技法はある程度まで彼に依ってあきらかにされた。その弟子に永田善吉(亜欧堂田善)がある。が、一般は余り敬意を払わず為に油画は極めて平俗な物に応用されるに過ぎなかった。しかし北斎はさすがに老年に及んで油画に熱中したそうである。かくのごとく明治以前の油画は極めて不完全な物であったが、明治に入ると共にそれは漸々だんだんと完全になり且つ広まった。初期の油画家に川上冬崖、高橋由一、五姓田義松、山本芳翠、国澤新九郎、本多錦吉郎等の人々がある。是等の人々は皆或いは洋人に就いて習い或いは洋行して熱心に研究した結果、開発された所は少なくなかったが、明治九年政府の立てた美術学校の教授として来朝した伊太利イタリー人のアントニオ・フォンタネジはまったく精細完全な油画法を伝え、その伝習者小山正太郎、浅井忠等に依り以降日本の洋画は根本技法上の心配はせずともすむ事になった。後、黒田清輝氏が当時仏国フランスに起こった新手法に影響されて帰ったのを始めとして、陸続りくぞく秀才が西洋へ渡り新しい手法をもたらし帰った。画家の数は増加し展覧会は多くなった。油画は年と共に勢力を増して来た。かくして油画があたかも第十五世紀にテンペラをいやった時の如くにして日本従来の画法を圧倒し、油が膠水に代わりカンバスが絹に代わり切る時代の近きにある事を私は信じかつそれを待ち望む。日本の芸術が進歩するならば、それは必然そうあるべき物であろうと思う。」

古代絵画に使用された密陀僧絵具

 奈良時代に中国から伝わってきた密陀絵は、密陀僧絵具という油絵具の一種で描かれた絵画です。この密陀僧絵具は、密陀油で顔料を練って作られた絵具です。密陀油は、鉛を熱して作られる密陀僧(一酸化鉛/PbO)を、植物油に少量加えて煮沸し、煮沸することで油の乾燥性を高めたものです。

 密陀絵には厳密にいうならば、顔料を密陀油で練った密陀僧絵具で描いたものと、膠絵の表面に密陀油をかけて光沢を出したものとの二種類があります。

 日本で密陀絵が流行したのは桃山時代から江戸初期にかけてでした。このように密陀僧絵具がもてはやされたのは、漆では発色が不可能な白色や、その他の色も鮮明に出せるという特性があるからです。

 密陀僧に混ぜる油は植物性油で、の油や桐油だったと記録されています。荏の油というのは、荏という植物から抽出される油で、油荏あるいは荏胡麻とも呼ばれています。荏は苗・葉・茎・実・花ともに紫蘇しそとよく似ていて、茎や葉は同じ青色をしていますが、花だけが白いので、白紫蘇という別名があります。

明治時代の油絵具の起源

伊藤彩料店広告 青木 茂『油絵初学』(筑摩書房 1987年)より引用

青木 茂『油絵初学』(筑摩書店1987年)より引用

大正13年のホルベイン広告(イギリス製・ドイツ製・フランス製の油絵を販売していることが明記されている)

大正13年の櫻木油絵具の広告

 日本に油絵具が輸入されるようになったのは明治初期のことで、東京・両国にあった「島屋」という洋書店が、明治4年にイギリス製の油絵具を輸入したのが最初であろうと言われています。明治10年頃には伊藤藤兵衛という人が、東京・深川に「伊藤彩料舗」という画材店を開業してイギリス製の油絵具を輸入していたという記録があります。この伊藤藤兵衛は、高橋由一が主宰する画塾「天絵学舎」で学んでいた学生の一人でした。また、東京・日本橋には「日本絵具開祖村田宗清」という絵具問屋があり、油絵具や水彩絵具、画材などを販売していました。その「日本絵具開祖村田宗清」を営む村田保七が天絵学舎を訪ねて高橋由一らに西洋の絵具の製法を聞き、明治8年頃から油絵具の製造を試み、明治12年には国産油絵具を販売したという記録があります。しかし、この村田宗清に関しては、国産油絵具の製造を試みたが失敗に終わったという記録もあり、真偽のほどは定かではありません。いずれにせよ、この頃すでに国産油絵具の製造法が模索され始めていたということがわかります。

 油絵具の輸入が盛んになったのは明治30年以降で、明治31年には東京・神田にあった「丸善」や「文房堂」、大阪の「吉村商店」(後の「ホルベイン工業(株)」)などが輸入を始め、イギリス製のニュートン、フランス製のルフラン、イギリス製のケンブリッジなどの油絵具が売られるようになりました。こうして外国製の油絵具が盛んに輸入されるようになると、本格的に油絵具の研究や製造法について取り組む研究者が出てきました。大正初年には東京・上野桜木町にあった「花の家」という絵具屋で古結静三、長崎春蔵が油絵具の研究に取り組み、ついに“櫻木油絵具”を誕生させたという記録があります。古結静三は『全国文具界大観』(大正14年刊)に寄稿した「国産油絵具の創始―櫻木油絵具製造所主・古結静三」で次のように記述しています。

 「私が油絵具の研究製造を開始致しましたのは、大正六年で実に最近の事業であります。当時は外国から盛んに輸入され殆ど専門家に依って消費されて居った有様であります。元来私の父が明治二十四年頃我国に於ける最初の試みとして花の家絵具製造所を設立し、創始的に水彩絵具の研究製造を開いたので、病歿後十数年間は極く微々たるもので、明治四十四年頃文部省令で絵具が指定せられてから、現今に於けるが如き斯業の隆盛を見るに至ったのであります。斯様な関係上幼少の頃より多少斯業には経験があったのでありますが、途中或る事情で花の家絵具製造所と分立し、櫻木油絵具製造所を起し、当時まだ油絵具の競争者のない又一歩進んだ油絵具の製造に望を置き研究製造を開いたのであります。然しその製造方法等は全然知る由もない。あらゆる苦心と戦ひ、有名学者或は専門的需要家等を訪問しその意見を徴して漸く殆ど完全に近い舶来品に比適し得るだけの製品をつくることが出来た。しかし如何せん舶来品対和製品のかなしさに、その販売普及に少なからず苦心をし、当時外国製油絵具取扱店へ代理販売を托した。処が一、二年後にして想像以上の売行きを示すに至ったので、徐々に改善を加へ二、三年此方帝展出品にも使用される様になり始めて和製品にして或る点まで専門家の信用を得るに至りました。然し私の目的は専門家より、より以上一般的に此の油絵具の需要を望んで居りますので、最近は各地公会堂或は学校等で実地展覧会等を催し宣伝中であります。要するに水彩絵具の万能時代がクレオンの最盛時期となり、目下の処両者相半すると云う状態で、我田引水かは存じませんが今後斯界の変遷はパステル或は油絵具のへと進まなければ止まない状態にあると思います。」(坂本眸編『全国文具界大観』文具界社、大正14年刊)

 櫻木油絵具に次いで、文房堂が大正9年に“専門家用文房堂アーチスト油絵具”を発売したとの記録があります。これは長崎春蔵の開発した油絵具を大正8年から文房堂へ供給し、大正9年から文房堂のオリジナルブランドとして発売されたという経緯があるようです。このように大正末期には、輸入品と国産の油彩画材料を扱う店が増えていきました。

 明治時代から始まる西洋画の発展とともに油絵具の輸入が盛んになり、大正時代には油絵具製造が始動し、いよいよその黎明期を迎えようとするのですが、第二次世界大戦中はあらゆる物資の不足に加えて、戦時下における油絵具は贅沢品とみなされるなど、それ以上の発展を見ることはありませんでした。(後編に続く)


サクラアートミュージアム 主任学芸員
清水靖子(サクラクレパス)


About Paints and Materials | Sakura craypas web magazine for adults
  • 小学生が楽しむサクラ
  • 中高生が楽しむサクラ
  • 大人が楽しむサクラ
  • 先生のためのページ
ページの先頭に戻る